食べてみたい。昔、そんな気持ちで扉を叩いた料理教室がありました。ごく少人数の生徒さんを自宅に集めて、料理を作りながら教えてくれる機会があると知り、早速予約をしました。土曜日の午前11時、時間通りに席についた途端に始まります。挨拶も前置きも一切ありません。流れるような段取り、全く隙のない、美しい台所仕事。湯気の立つ皿をおのおのがテーブルに運び、席につき、食し、洗い、また次の料理に取り掛かる。一品仕上がるごとにシンクも作業台もぴかぴか。旬の野菜が木の器に盛られ、磨かれたカトラリーやグラスは古いアンティークの食器棚にきちんと収まっていました。料理のレシピを思い出せるかと言うと、果たして自信がありませんが、塩を振る彼女の手つき、威勢の良い火加減、わずかな調味料、その日の空気、料理の美味しさ。そのどれも、レシピの紙には書かれていませんが、今も目の前にありありと思い出されます。教わったことより、感じたことのほうが多かった鮮烈な思い出。そして、今も自分のキッチンや料理に、その時の躍動が蘇る瞬間が何度もあります。そのたびに、彼女から大切なことを学んだのだな、と思うのです。

“学び”とは、夢中になって、全身で感じることなのだと思います。その瞬間は、毛穴が開いて全身で吸収するような。どのシーンも記憶に留めておこうと意識を高めていくような。自分の内側から求めていく、夢中になる感覚。

それは、歴史でも、デザインでも、音楽でも、専門的な技術でも、ジャンルは何にだって言えることでしょう。“感じる”学びのチャンスはなかなか訪れないのです。自分が求めていくこと。その延長線にきっとそのチャンスがあるに違いありません。この生活の中でも、日常の小さな気づきから、そんな自分の求めていることに改めて気づける瞬間がありますように。