私たちは日々、言葉を探しています。短いメールも、長電話も、白熱する会議も、街角の立ち話も、最近ではパソコン越しにオンラインでも、そして時には沈黙を持ち出して、何かを伝えようと、言葉を探して生活しています。たくさん生み出す言葉のなかで自分に向けられる言葉は、ほとんどありません。大抵誰かに向けて発せられています。忙しい日々のなかで無理もありません。前に進むために、人びとと繋がる唯一の手段として、言葉を紡ぐのですから。

小学生の頃、ほとんど義務的に日記を書いていた記憶を手繰り寄せます。今日あったこと、自分が思ったこと、明日やりたいこと、つたない文字で綴られた毎日の日記のなかには、鮮明な自分の気持ちが書かれていました。だいぶ長らく、そんな習慣を忘れてしまっていたなと、思い立って、昨年からの変化する生活の中で日記をつけ始め方もいらっしゃるかもしれません。実際に日記をつけ始めた方に聞くと、これが意外なほど面白い時間となるといいます。始めのうちは、事実を書き綴るばかりでも、少しずつ、気づいたことや感情、些細な気持ちの変化などを言葉にできるようになっていくのです。自分しか読まない、自分の言葉。感覚をそこに、ただ置いてみることができる作業。内側から出てくる胸の奥に仕舞い込みたい感情や、やっぱり私そんなこと思っていたんだ、と小さな驚きはあるかもしれませんが、肯定も否定もない「日々を記す」なかで、自然と自分の気持ちが満たされていくのを感じるでしょう。いろんな方法があると思いますが、鏡に向き合うように、自分自身を見つめる時間を持ちたいな、と思うのです。