
“Saturn” 2018, Oil on canvas, 33.3 × 24.2 cm
星の光が数百〜数億光年という時空を超えて、俺の両目に到達しているって、誰もがそれをいつの頃からか知っている。絵描きが絵を描いてる内にいつかそれに気づくように。
絵の具も同じなのだろう。
キャンバスの淵で果てることなく、その深遠に途方もなく広がる空白に伸びて、右往左往しながら、いずれどこかに着残し光るって、朧げに感じているのだろう。
お互いに、思い通りに転がり込もうが、不本意に手が滑ろうが、一つの絵の矛盾や是非、不思議さなどどうでもいいというような顔をしていよう。ただ俺と絵の具で心ゆくまで閃々としよう。俺は光を観るために、たぶん絵は、光そのもので在るために。
その谺する得体の知れない絵の具!
それと一生、途中でさえもそこを選ぶのならば、なんかどうしようもなく面白いと信じよう。そういう存在でお互いいよう。
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このロマンチックな絵の具へのラブレターを2018年の夏に私のギャラリーで開催した個展に寄せてくれたのは、画家の小左誠一郎さんです。そのときの展覧会のタイトルはズバリ「谺(こだま)せよ、UPO」。
夏休みの自由研究のテーマに、UFO (Unidentified Flying Object 未確認飛行物体)を選んだ方も案外多いのではないかと思いますが、夏本番を控えた今回は、小左さんのUPO(Unidentified Painting Object)を紹介したいと思います。
さて、この文章を書いているまさに今、私はニューヨークにいます。ニューヨークと言えば、今、世界のアートの最大の中心地であることは間違いありません。20世紀初頭にヨーロッパから多くの芸術家たちが移住し、ヨーロッパで生じた当時の最新の動向と地続きに様々なムーブメントを生み出し、戦禍をこうむることもなかった地は、かれこれ100年近くにわたってアートにおける最重要な場所であり続けています。(例えば、日本に存在するコンテンポラリー・アートのギャラリーも、ニューヨークのギャラリーたちのスタイルを取り入れつつ、90年代初頭前後から頑張っています。ですが、欧米のアートを取り巻く環境と比べると日本はまだまだ未成熟。一層頑張らなければなりません。この点に関しては、また回を改めて触れてみたいと思います。)
ここニューヨークで1940年代以降、絵画に関して生まれた重要なムーブメントのひとつが、抽象表現主義と言われるものです。MoMAに行ってもメトロポリタン美術館に行っても、抽象表現主義は重視され多くの作品がコレクションされていて、コレクション作品を紹介するセクションでは必ず展示されています。(ちなみに、MoMAもメトロポリタン美術館も、日本の美術館には到底無い美味しいカフェや面白いショップを併設しています。レストラン目当てで行く人も多く、そうした風潮の是非を問う声もあるのは確かですが、美味しいコーヒーだとかワインだとかを飲みながら作品を見るのも決して悪いことではないと個人的には思うのですが…。)
その抽象表現主義を代表する画家のひとりであるフランク・ステラは、絵画は何かを映し出す「スクリーン」ではなく、ひとつの「物体」であると考えました。これは絵画の歴史にとっても重要なアイデアでした。それまでの絵画といえば四角い木枠とそこに張られたキャンバス(四角い木に直接描かかれることもあります)が絶対的なものだったのですが、そうした支持体の在り方に疑問を投げかけ、ついにはジグザグの支持体に絵を書いても絵画になるのだということをフランク・ステラは作品として具現化し注目を集めました。
そうするとどうなるでしょうか? 描かれる「図」とそれを支える支持体である「地」の関係が等価になり、絵画がより自由に着想されていることになったのです。

“丸 三角 四角” 2018, Oil on canvas, 181.8 x 228cm
小左さんの絵を前に絵画の歴史を踏まえてみると、見えてくることがあるようです。小左さんは近年、最低限の要素からなる線や色、形を、キャンバス全面にあるときは規則正しく、あるときは規則を逸脱するように、けれども相対的にシンプルに描く抽象絵画に取り組んできました。純粋化された表現は、絵という平面空間のなかにまた別の起伏を与えるような、水平線や垂直線、曲線や斜線で構成された○△□という根源的なモチーフによって、ナゾナゾをかけられているような感覚を与えてくれます。
ときに小左さんは、絵を描く行為を「試合」と呼んだりもします。数あるキャンバスのなかでも分厚い麻のキャンバスを用いることが多いこともあり、ザラザラとした荒いキャンバスにブラシで絵の具を塗っていく作業は、絶えず支持体からの不意な抵抗を感じるものとなり、小左さんの身体VSキャンバスという絵画が生まれる生成プロセスを生み出すことになるのです。この生成プロセスには、抽象表現主義と同時期に命名された、これまた重要な絵画のムーブメントであるアクション・ペインティングの歴史も想起させますが、小左さんの絵もまた、こうした絵画の歴史の突端にあるものなのだ、ということがよく分かります。
「谺せよ、UPO」とは、現在という歴史の突端において、絵画の歴史に挑戦しながら、「絵とはなんだ!?」「この時代におけるオレの絵よ! 生まれてこい!」と、まるで夜空の星々に願いをかけるような、そんなロマンも孕んでいるように思えてきます。

ギャラリーで色々な来場者の方と話をしていると時折「現代美術ってよく分からない…」という感想を耳にすることもあります。小左さんの絵のように抽象的な表現を前にすると尚更なのですが、こうして絵画の歴史をサラッとでもおさらいしてみると、随分見え方も変わってくるのではないでしょうか?
絵画に限らず優れた現代美術作品たちは、様々な素材を用いて様々な発表形態(写真だとか彫刻だとかインスタレーションだとか)を取りながら、今の私たちの世界とはどういうものか? その魅力は? 問題点は? ということを問いかけています。そこに芸術が辿ってきた歴史が絡んでくるため魅力が増々になるわけですが、ある意味では、文学者や科学者たちとの志しと重なる部分もあるでしょう。小左さんのように愛と熱意のある芸術家たちが、悶々と苦闘しながらも制作に向き合い続ける姿を、夏の夜空に透かし見ていただけると幸いであります。
〈作家情報〉
小左 誠一郎 SEIICHIRO OSA
1985年静岡県生まれ。2011年東京藝術大学大学院美術研究科絵画専攻油画修了後、絵画を中心に国内外で展覧会を行う。以来、最小限かつ根源的な要素で構成される〇△□といったモチーフを繰り返し描く抽象絵画に取り組む。キャンバスや絵の具といったメディウムと真っ向から向き合う制作過程は、恣意性と偶然性、自律性と他律性を生み出し、奔放なストロークは矩形の外への拡がりを感じさせる。目の前のキャンバスと拮抗しながら絵筆をふるう時間は、小左が『試合』と呼ぶその過程の痕跡、残響として鑑賞者の前に作品として立ち現れる。
近年の主な展覧会に「NEW VISION SAITAMA 迫り出す身体」(2016年、埼玉県立近代美術館、埼玉)、「絵画の在りか」(2015年、東京オペラシティ・アートギャラリー、東京)、「SLASH / square」(2014年、東京オペラシティ・アートギャラリーgallery5、東京)、「JAPANESE PAINTING NOW!」 (2014年、Kunstverein Letschebach、カールスルーエ)がある。
https://seiichiroosa.tumblr.com/
〈キュレーション・執筆〉
菊竹 寛 YUTAKA KIKUTAKE
1982年生まれ。ギャラリー勤務を経て、2015年夏にYutaka Kikutake Gallery を六本木に開廊。Nerhol、平川紀道、田幡浩一など、これからのコンテンポラリーアートを切り開いていく気鋭のアーティストたちを紹介。生活文化誌「疾駆/chic」の発行・編集長も務め、ギャラリーと出版という2つの場を軸に芸術と社会の繋がりをより太く、より豊かにするようなプロジェクトに挑戦中。
www.ykggallery.com